For Publication

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 小説家は公人。この考えは古いか。実際1970年代以降、小説家の多くはその考えを無意識的に否定してきただろう。また例えば小説家の「不倫」に昔ながらの道徳を求めるのは意味が薄い。「不倫」は世間でも当たり前になってしまったし、非道徳的とすら必ずしも言えないから。だが、この世界に対しpublicな責任を負わない人間の書く物がpublishされる必要は、最早ないだろうとも思う。それはインターネット上だけで(電子「出版」を含む)で十分だ。publicな責任とは、今日の小説家たちがそのただ中で生きることを「選んだ」資本主義(それが出版[publishing]とともに誕生した歴史はよく知られている)の中で日常的に問われる<道徳>だ。責任を負わない連中がpublishingにはびこれば、この社会の公共性publicityそのものが瓦解するだろう。