바둑은 제미있어요.

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 韓国語(朝鮮語)を習い始めるのには、語学を身につけ韓国に行き日本式将棋を広められたらいいなあ、という夢、というか野心もほんの少しだけあった。棋力も他人に何かを教える力も低いというのに……。中国では熱心に普及活動が行われているようだが、韓国での普及の話はあまり聞かない。
 しかし、今の自分は、韓国が先進国となっている、自分がほとんど経験のない囲碁を一から学びたいという気がする。その理由には、自宅から十分程歩く範囲の2つの公民館で、それぞれ囲碁サークルが活動していたりすることもある。部屋を覗いてみると、当然ながらおじいさんが多いけれども、おばあさんも何人かいるし、よく見ると白髭をたくわえた西洋人のおじさんの姿もあった。市内では駅前に「囲碁会館」まである。公民館のサークルでも、実戦の曜日と教室の曜日がきちんとある。将棋では、近所にそのような場所は無い。「加瀬教室」がある本八幡まで自転車で30分、が最も「近所」か。電車を遣うなら「柏将棋センター」。
 もう一つの理由は、韓国語をやっていること自体か。日本語が「木」だとしたら、韓国語は「石」、という比喩がぴったりくる。「石」の方を「触りたい」のだ(将棋であれ、今の自分は自宅のインターネット対戦だけで伸びるレヴェルでもないし、それより何より何かに「触れたい」)。そして、ただひたすら同じ色の石を置いていく作業の単調さに魅かれる。
 そして最後の理由は、当ブログの他の[将棋]カテゴリーの記事をご覧になれば分かるとおり、将棋界の情けなさをごく一部でも知ってしまったことだ。たんなる将棋maniaたちが、将棋界を動かしている。スペース アルク: mania

棋士総会を見物すれば一目瞭然だが、狂うにも、狂わんにも、頭にネジのついてる棋士が居やしないのだ。ハッキリと自分だけの考えや、自分だけの批判を述べることができたのは高柳八段ただ一人ではないか。
坂口安吾「升田幸三の陣屋事件について」

 安吾の時代と、将棋界がどう変わったのか。高度経済成長、バブル経済の中、「変わった」時代はあったのかもしれないが、現在の将棋界が「本質的に」安吾の時代と変わったといえるのだろうか。洩れてくる情報から判断する限り、むしろひどくなった部分すらあるのかもしれないと思う。無論、プロの将棋が数十年間で飛躍的に進化・深化してきたのは言うまでもない。しかし、私は「弱い将棋ファン」として、「強さ」を見るだけで満ち足りることはできないのだ。正義が、必要だ。「指さない将棋ファン」の方にとっては、どうだろうか。

坂口安吾全集〈15〉

坂口安吾全集〈15〉