国会にも「ねじり合い」を

walking_in_the_night

 「ねじれ国会」という言葉をつくったのは、マスコミのどこの愚か者だろうか。両院で多数派が異なることを認めるのが二院制なのだから、それを「ねじれ」と呼ぶ者は、憲法を改定して一院制にすることを求めているということになる。
スペース アルク」で「ねじれ国会」と入力してみると、
 http://eow.alc.co.jp/ねじれ国会/UTF-8/?ref=sa
「the twisted Diet」といういかにも和製っぽい訳語が出てくる。「twisted Diet」をGoogleで検索すると、たった「約1,100件」しか見つからないし、ざっと見る限り日本の国会についての文章しかなく、多くが日本人が書いた英文のようだ。
 将棋の醍醐味は中盤の「ねじり合い」、と羽生名人も言っている。国会もまた、むしろ本当に「ねじり合う」方がいいのだ。具体的にいえば、通るか通らないか微妙な法案の審議に当てる時間を増やすということだ。「根回し」(戦略)が利かなくなるほどに、微妙な場面の連続。党を裏切る議員も、あって当然と思う——盤上の方針変更のように。間も無く行われる衆議院議員総選挙において民主党が勝利するかにかかわらず、「ねじり合い」の確立が大切だ。