井上ひさし死去

 私のいた高校に井上ひさしが講演にやってきたことがあった。しかし私は講演を欠席してしまった。母は講演を聞きに行ったので、母からその当時のことを言われ、講演があったと思い出した。その日のことを詳しくは覚えていないが、はっきり覚えているのは、私が、その講演というより学校に通うことすら覚束ない、半ば不登校のような、しかし夕方には決まって高校の生徒会事務局にはいる、という変な状態であったことである。母によると、井上ひさしは昨日から徹夜とか言っていたそうだが、私も昼夜逆転、まともな生活では既になかった。
 同級生らは、私が何か質問するのでは、と思っていたそうだ。生徒総会で必ず質問、意見する人、と私は認識されていたのだ。「国語」を教える担任のかたから、後で「なんで来なかったの」と言われたことをふと思い出した。吃音持ちで遅筆作家代表の井上ひさしにかこつけていえば、その頃から私は「国語」に遅れをとってしまったのであった。国語の作文だけでなく、理科や社会のレポートも、まるで書けなかったのだった。生徒総会での発言だけが、私が「言葉」を使えたほとんど唯一の場のようなものだった。その「政治的な言葉」だけが、「自分の言葉」だったからだ、と思う。井上ひさしにとっての政治ももしかしたらそういうものだったのかもしれない、と書いても、こじつけではないように思う。