人文学と批評の運命

ロンドン大学キングスカレッジの人文系教員が削減されることがtwitterでかなり注目されていたのを先日見た。抗議署名が集められてもいるようだが、抗議という手段以前に、講義というメディアが必要とされない、というのが人文学のみならず大学アカデミズムの危機の現実である。私は、同じく危機に瀕するテレビというメディアを利用すべしと思う。テレビ、といっても電波テレビwebテレビ問わずだが、大学の講義は基本的に「放送大学」形式で良い。もともと大学の講義は教員と学生の距離を前提にしているテレビ感覚のartである。予備校界では疾うに実現しているように、telescope(望遠鏡)を覗くように、televiseされた講義をつまみ食いすれば良い。人文学は天文学として生き延びる。

番組と同じくブラタモリの記事は面白く、高須と鈴木の対談は彼らの番組と同じくつまらない。そうした感覚が常識にならなければテレビが変わるはずもない。