prismic

文章は水晶玉、と書いていた人がいる。その意味は分かる。しかし、文章はクリスタルよりむしろ、プリズムであるべし。アートは、「見る人によって姿が変わる」、であるべきだが、文章はアートである以前に、著者が見る宇宙を自らの内で偏光させる装置であるべし。なんとなく、クリスタルより、どことなく、プリズムで。映画にも同じことがいえるだろうと思う。アートより早く、そして速く、自分だけにしか見えない世界を持たないと、仕方がない。