冬のお遊戯会、運動会

 ヴァンクーヴァー五輪開会式、大人のお遊戯会である。子どものお遊戯会には何らかの教育的意義があると思うが、大人が「遊戯」に興じる姿には、人前に見せる意義が全くない。根本的に自己満足の世界。それを楽しく観られる人もその世界の一員である。その有り様を「外」から観ると、おぞましい。
 他方で競技自体は言うなれば「運動会」である。けれども、玉木正之の本で読んだことがあるが、「運動会」は文化的に重要な催し事であり、地域社会の必要に根差した祭りだという。大人が参加する種目だってある。だから、オリンピックもナショナリズムを一切排して、純粋にスポーツの祭典として行ってくれないものか。運動会のように赤組、白組、と適当に分ける方が、ずっと正しくスポーツするあり方である。
 しかし本性的に汚いヨーロッパ人たちがそんな五輪をめざすことは、ほぼありえないだろう。開会式の最後にカナダの組織委員会のCEO(!)とIOCの会長がだらだらと話していた有り様は、学校行事での校長やら来賓やらの挨拶そのままであった。